ヤング・タレント・アワードは新たな希望

2016年度‘Women in Motion’のヤング・タレント・アワードを受賞したガヤ・ジジが、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門のオフィシャル・セレクションとしてデビュー作『My Favorite Fabric』を公開しました。2012年にダマスカスと内戦から逃れたシリア出身の若き映画監督に今、熱い視線が注がれています

Gaya Jiji
Filmmaker

これまでのキャリアにおいて、女性だからこそ感じた困難な場面はありましたか?

たくさんありました。まず初めに私はシリア出身ですが、シリアの映画界には女性が入る隙など全くありません。男性監督でさえ、政府の意図を汲むものでなければ、資金を得て、制作を進めるのは極めて困難です。女性ならなおさらです。

私は脚本監督や助監督として映画に携わるところから始めましたが、現場では私以外、皆男性でした。こうした経験から私は多くを学び、困難な状況でもいかに臨機応援に対応し、想像力を駆使しながら映画を製作するかを学びました。

内戦が悪化するシリアを離れ、フランスに逃れてからも新たな困難にぶつかりました。キャリアをスタートさせたばかりの映画監督にとって、長編映画を制作するための資金を確保するのは非常に難しいことです。シリアから突然やってきた経済基盤もない女性である私にとっては、本当に大変でした。プロジェクトを進めるために、副業もたくさんしなければならず、エネルギーを消耗します。だからこそ、‘Women in Motion’のヤング・タレント・アワードの受賞は、私にとって非常に大きな意味を持ちました。これによってプロジェクトに集中することができましたし、さらには作品に対する注目度をあげることができました。この賞がなくとも、『My Favorite Fabric』を完成させられたとは思いますが、完成までの時間をもっと要したでしょうし、より困難な道のりだったことは明らかです。

2年前、ティエリー・フレモーやピエール・ルスキュール、フランソワ=アンリ・ピノーから‘Women in Motion’のヤング・タレント・アワードを授与された時のことを聞かせていただけますか?

3人の受賞者の中で、私だけがまだ映画を完成させたことがなかったので、賞を頂けたことにとにかく驚きました。当時、私は脚本を書いている最中で、賞そして授賞式への出席は、前進する励みになりました。

映画の制作には、紆余曲折がつきものです。いい時もあれば、うまくいかない時もたくさんあります。実際、『My Favorite Fabric』の制作には6年もかかり、それは長い道のりで、もう止めてしまおうと考えたことが何度もありました。賞を頂いたことで、経済的にも安定しましたが、何よりも私はお金では買えない、希望を頂いたと思っています。

そして、私が憧れるジーナ・デイヴィスとスーザン・サランドンという2人の素晴らしい女優から賞を手渡されたことは何よりの出来事です。授賞式以来、お二人にお会いする機会はまだありませんが、私は彼女たちこそ『My Favorite Fabric』の生みの親であると伝えたいです!また、ケリング グループは映画界における女性像を変えるという上で素晴らしい成果を残していると思います。女優と女性監督を中心に賞の選考を行うということも、私のようなキャリアをスタートさせたばかりの女性にとっては、多くを学ぶ機会になります。

My Favorite Fabric』の制作について教えてください

かなりユニークな現場でした。当然、ダマスカスでは撮影ができなかったので、イスタンブールで行いました。クルーも国際色豊かで、アラビア語やトルコ語、フランス語、英語が飛び交いました。それでもコミュニケーションにおけるすれ違いが生じることはなく、チーム全員が私の作品、私のビジョンを支えてくれていると感じました。

一般に良く知られる通り、映画界は長きにわたって男性中心の世界であり、女性はまだ少数派です。それでも、状況は変化しつつあります。女性のプロジェクトを後押ししようとする素晴らしい風潮も感じられ、私自身もまさにその流れの恩恵を受けています。グロリア・フィルムズのフランス人プロデューサーであるロラン・ラヴォレ氏と仕事をしたのですが、彼はプロジェクトを通じてリスクを厭わず、私をサポートしてくれました。

My Favorite Fabric』はどのように受け止めれると予想していますか?

この作品は内戦という困難な状況にありながら、自らのアイデンティティを模索し、自らの解放、とりわけ性的な解放に声をあげる若きシリア人女性の物語です。中東の女性が置かれた状況を描いてはいますが、より普遍的なテーマを扱っています。内戦が始まったばかりのダマスカスにいた頃に書き始めた作品で、政治的にも、心理的にも複雑な映画です。私が目の当たりにした日常的な暴力も、この作品に大きな影響を与えています。現在のアラブから発表される映画とは全くの別物です。正直なところ、この作品がカンヌや世界でどのように受け止められるかは予想ができません。ただ見守るだけです。しかし、この作品をきっかけに新たな議論が生まれることを望んでいます。私にとって、「ある視点」部門のオフィシャル・セレクションに選ばれただけで、十分な意味があります。カンヌ国際映画祭で映画が公開された、初めてのシリア人女性になれたのですから!小さな頃の夢を叶えられたということだけでなく、母国を代表して受賞したということが私にとっては大きな意味があるのです。世界に対して、私たちはまだ自分の力で立ち、何かを成し得るんだということを知らしめることができます。多くのシリア人から、私の活動を誇りに思うという手紙を受け取りました。

映画を制作する上でのインスピレーション源とは?

私は芸術家の家庭で育ちました。父は舞台監督で、劇場にもよく連れて行ってくれました。小さい頃、私は読書家で、小説家になりたいと思っていたほどです。しかし10代の頃、ジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』を観てすべてが変わりました。その映画を機に、言葉ではなくイメージですべてを視覚化するようになったのです。本を読む時ですら、私はページに並ぶ言葉をイメージでとらえるようになりました。文学ではなく、映画制作の道を志すようになったのもその頃です。

カンヌ後の活動は?

ちょうど新たな脚本の執筆を始めたところです。家族とともにカナダに移住したシリア人男性の物語を通じて、亡命が抱える問題を掘り下げる内容になっています。彼が自らを裏切ることなく、新たな国で人生をどう切り開いていくのかがテーマとなっています。このプロジェクトをまとめるにはまだ時間がかかりそうですが、この業界では忍耐こそ最大の才能だと思います。